【大行は細瑾を顧みず】
ここでいう『大行』とは、前を向いて積極的に生きる人という意味です。
『細瑾』とは、天井から雨漏りがしたり、ボヤで床を少し焦がしたときというような、ちょっとした被害のことをいいます。
天井を修理すれば雨漏りは防げますし、火の扱いに注意を払えば、この先床を焦がすことはありません。
いずれも小さなことです。
転じて、見出しの言葉は、
『前を向いて積極的に生きる人は、細かな失敗などまったく気にしない』
ということを表しています。
(中略)
些細な失敗を犯したのが自分ではなく、友達や同僚だとしたらどうでしょう。
「全然、たいしたことないよ」
「誰だってそういうことはあるよ」
「そんなこと、まったく気にする必要はないよ」
と笑いながら励ますはずです。
(中略)
些細な失敗で、心をへこませたときは、その状況を第三者的に眺めてみてはどうでしょう。
失敗がかすり傷程度にしか思えなくなり、心がマイナスに傾くこともなくなるはずです。
→立ち止まらずに進む
引用:小さなことにクヨクヨしなくなる100の言葉(植西聰著)より

小さな失敗は、よくしてしまいます。
毎日、毎日。
でも、それをすべて真に受けていたら、心がどんどん疲れてしまいます。
小さな失敗は受け流して、次に進めるようにしたいものです。
僕は友達が少ないので、あまりそういう他人の些細な失敗の相談を受けることはほとんどありません(笑)。
ただ、やっぱり稀なそういうときには、励ましているような気がします。
自分が些細な失敗をしたときは気にするのに、他人のときは「大したことないよ」と励ます。
他人に励ましているように、自分自身にも励ますことができれば、ちょっとは心の負担が軽くなりそうです。
失敗とは少し関係ないかもしれませんが、僕は散歩のときや出勤のときには、会った人には挨拶をするようにしています。
もともと声が大きいので、聞こえないはずはないのですが、たまにスルーされることがあります。
前だったら、
「せっかく挨拶したのに、無視された、、、」
と結構傷ついていました。
でも、最近だと、
「もしかしたら、あの人は耳が遠い人なのかもしれない」
「イヤホンをつけていたから、聞こえなかったのかもしれない」
「機嫌が悪くて、挨拶を返す余裕がなかったのかもしれない」
そんな風に考えられるようになりました。
挨拶をすることはやめたくないので、自分の心を守れるように。
やっぱり、挨拶するとお互いが気持ちいいですから。
特に、朝の挨拶は。
最初は小さな声でも、慣れてくると大きな声で言えるようになります。
そして、知らない人にでも挨拶できるようになります。
挨拶を返してくれると、結構嬉しくなりますから、なんとか続けたいものです(笑)。
では、またー🐳
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