わたしたちはもともと歩くことが嫌いではない。
というより、わたしたちの脳は歩くことに喜びを感じるようにできている。
歩いているとき、脳は活発に動いている。
(中略)
歩くことは本能に根ざした快感であり、快感に包まれるとき脳は活発に動いているのだ。
しかし昔の人のように歩かなくなった現代人は、歩く喜びを忘れてしまっている。
意識して歩くというのは、その喜びを思い出すことなのだ。
三十分歩けば三十分楽しくなる。
楽しければ、また歩こうという気にもなるだろう。
しかしそうは言っても、三十分歩いたけれど、一向に楽しくなかったという人がいるかもしれない。
ただその人も間違いなく、歩いた分だけ足腰が鍛えられている。
体が健康になっている。
体のためによかったのだと考えれば、また歩こうという気分になるはずだ。
だから、一日や二日歩いただけでつまらないと決めつけないでほしい。
歩く喜びを思い出すのに時間がかかっているだけなのだ。
(中略)
歩くことは、こうした忙しさからしばし自分を開放することであり、かさかさした心にうるおいをもたらせることにもなる。
(中略)
いい趣味は新たな自分もつくり出す。
こんなことからも歩くことは趣味の王さまと言えるのではないだろうか。
引用:歩くとなぜいいか?(大島清著)より

歩いているときは、無理に考えないようにしています。
考えが浮かべば考えるし、そうでなければ何も考えません。
身体と頭に、自然に任せています。
歩いているときだけは、自由です。
そんな時間が心地よくて、ついつい8年間も続いています。
寒い日も、暑い日も、楽しいときも、辛いときも。
とにかく外に出て、歩いています。
だからこそ、どん底からここまで這い上がってこれました。
そしてこれからも、少しづつ上がっていくのだと信じています。
では、またー🐳
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